私は昔から、時間に縛られることが大嫌いな人間です。
学生時代はよく遅刻をしていました。それは、生活習慣が悪いからだと思っていました。
自分を意思の弱いだらしない人間だと思っていました。
でも最近になって、それは【にわとりが先か卵が先か】のような話ではないかと考えるようになりました。
今の学校や会社の制度は、時間割が決まっていたり、出社退社時間が決まっていますよね。
そもそも、この時点でひどく窮屈に感じるのです。
何を甘えたことを言ってるんだと叱られそうですが、学生時代を回想するといかにも学校が好きで通学もしんどそうではない学生がたくさんいました。
会社でもそうです。通勤がそう辛くなさそうな人がたくさんいます。
私は自分だけが辛いと言いたいわけではありません。
私のように決まった時間の通勤通学、学業や仕事を行う定められた時間配分にどうしてもついていけない人がいるのではないかと思うのです。
その感覚に幻滅し、私は社会不適合者ではないかと思い、自己効力感の低下に苛まれたことが何度もあります。
この考え方は、最初に社会の価値観があり、次に私の価値観がある考え方です。
逆に、最初に私の価値観、次に社会の価値観を持ってきた場合、かなり気持ちが楽になります。
社会の価値観と私の価値観。
しかし、どちらを先に持ってくるかで自己効力感に雲泥の差あることに今更ながら気づいたのです。
私の価値観とは、自分で自分の時間を設計したいこと。
その価値観と逆の価値観に毎日触れていると、生活の主導権を失っている感覚、時間をコントロールできていない感覚を抱きやすくなります。
その状態を長く続けると今度はストレスがたまり、キャパオーバーになります。
そして、自分はこんなことも我慢できない弱い人間なんだ、、と自分を下げてしまうのです。
あとどのくらい命が残されているのかまじめに考えることが増えました。
今後の生活に強い不安と恐怖を感じることも増えました。
仕事や家族との付き合い方を、他人の基準ではなく私の基準で人生の時間割を組んでいこうと思います。
楽しい時間・感動の時間・働く時間・学ぶ時間・眠る時間・・・・
自由自在に組める喜びを噛み締めながら・・・
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